好かろうと、心の上辺で思って見るに過ぎない。
それでも爺いさんはこの頃になって、こんな事を思うことがある。内にばかりいると、いろんな事を思ってならないから、己《おれ》はこれから外へ出るが、跡へ娘が来て、己に逢われないのを残念がるだろう。残念がらないにしたところが、切角来たのが無駄になったとだけは思うに違いない。その位な事は思わせて遣っても好《い》い。こんな事を思って出て行くようになったのである。
上野公園に行って、丁度|日蔭《ひかげ》になっている、ろは台を尋ねて腰を休めて、公園を通り抜ける、母衣《ほろ》を掛けた人力車を見ながら、今頃留守へ娘が来て、まごまごしていはしないかと想像する。この時の感じは、好い気味だと思って見たいと云う、自分で自分を験《ため》して見るような感じである。この頃は夜も吹抜亭《ふきぬきてい》へ、円朝の話や、駒之助《こまのすけ》の義太夫《ぎだゆう》を聞きに行くことがある。寄席にいても、矢張娘が留守に来ているだろうかと云う想像をする。そうかと思うと又ふいと娘がこの中に来ていはせぬかと思って、銀杏返しに結《い》っている、若い女を選《よ》り出すようにして見ることなどがある。一度なんぞは、中入《なかいり》が済んだ頃、その時代にまだ珍らしかった、パナマ帽を目深に被《かぶ》った、湯帷子掛《ゆかたがけ》の男に連れられて、背後《うしろ》の二階へ来て、手摩に攫《つか》まって据わりしなに、下の客を見卸した、銀杏返しの女を、一刹那《いっせつな》[#「一刹那」は底本では「一殺那」]の間お玉だと思った事がある。好く見れば、お玉よりは顔が円くて背が低い。それにパナマ帽の男は、その女ばかりではなく、背後《うしろ》にまだ三人ばかりの島田やら桃割《ももわれ》やらを連れていた。皆芸者やお酌であった。爺いさんの傍《そば》にいた書生が、「や、吾曹《ごそう》先生が来た」と云った。寄席がはねて帰る時に見ると、赤く「ふきぬき亭」と斜《ななめ》に書いた、大きい柄の長い提灯《ちょうちん》を一人の女が持って、芸者やお酌がぞろぞろ附いて、パナマ帽の男を送って行く。爺いさんは自分の内の前まで、この一行と跡になったり、先になったりして帰った。
玖《く》
お玉も小さい時から別れていたことのない父親が、どんな暮らしをしているか、往《い》って見たいとは思っている。しかし檀那《だんな》が毎日の
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