轣A追手《おいて》を帆に孕《はら》ませた舟のように、志す岸に向って走る気になった。それで梅をせき立てて、親許《おやもと》に返して遣ったのである。邪魔になる末造は千葉へ往って泊る。女中の梅も親の家に帰って泊る。これからあすの朝までは、誰にも掣肘《せいちゅう》せられることの無い身の上だと感ずるのが、お玉のためには先《ま》ず愉快でたまらない。そしてこうとんとん拍子に事が運んで行くのが、終局の目的の容易に達せられる前兆でなくてはならぬように思われる。きょうに限って岡田さんが内の前をお通なさらぬことは決して無い。往反《ゆきかえり》に二度お通なさる日もあるのだから、どうかして一度逢われずにしまうにしても、二度共見のがすようなことは無い。きょうはどんな犠牲を払っても物を言い掛けずには置かない。思い切って物を言い掛けるからは、あの方の足が留められぬ筈が無い。わたしは卑しい妾に身を堕《おと》している。しかも高利貸の妾になっている。だけれど生娘《きむすめ》でいた時より美しくはなっても、醜くはなっていない。その上どうしたのが男に気に入ると云うことは、不為合《ふしあわせ》な目に逢った物怪《もっけ》の幸《さいわい》に、次第に分かって来ているのである。して見れば、まさか岡田さんに一も二もなく厭《いや》な女だと思われることはあるまい。いや。そんな事は確かに無い。若し厭な女だと思ってお出なら、顔を見合せる度に礼をして下さる筈が無い。いつか蛇を殺して下すったのだってそうだ。あれがどこの内の出来事でも、きっと手を藉して下すったのだと云うわけではあるまい。若しわたしの内でなかったら、知らぬ顔をして通り過ぎておしまいなすったかも知れない。それにこっちでこれだけ思っているのだから、皆までとは行かぬにしても、この心が幾らか向うに通《とお》っていないことはない筈だ。なに。案じるよりは生むが易いかも知れない。こんな事を思い続けているうちに、小桶の湯がすっかり冷えてしまったのを、お玉はつめたいとも思わずにいた。
膳を膳棚にしまって箱火鉢の所に帰って据わったお玉は、なんだか気がそわそわしてじっとしてはいられぬと云う様子をしていた。そしてけさ梅が綺麗《きれい》に篩《ふる》った灰を、火箸で二三度掻き廻したかと思うと、つと立って着物を着換えはじめた。同朋町《どうぼうちょう》の女髪結の所へ往くのである。これは不断来る髪結が
前へ
次へ
全84ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング