い》つても、道教《だうけう》に入《い》つても、佛法《ぶつぱふ》に入《い》つても基督教《クリストけう》に入《い》つても同《おな》じ事《こと》である。かう云《い》ふ人《ひと》が深《ふか》く這入《はひ》り込《こ》むと日々《ひゞ》の務《つとめ》が即《すなは》ち道《みち》そのものになつてしまふ。約《つゞ》めて言《い》へばこれは皆《みな》道《みち》を求《もと》める人《ひと》である。
この無頓著《むとんちやく》な人《ひと》と、道《みち》を求《もと》める人《ひと》との中間《ちゆうかん》に、道《みち》と云《い》ふものゝ存在《そんざい》を客觀的《かくくわんてき》に認《みと》めてゐて、それに對《たい》して全《まつた》く無頓著《むとんちやく》だと云《い》ふわけでもなく、さればと云《い》つて自《みづか》ら進《すゝ》んで道《みち》を求《もと》めるでもなく、自分《じぶん》をば道《みち》に疎遠《そゑん》な人《ひと》だと諦念《あきら》め、別《べつ》に道《みち》に親密《しんみつ》な人《ひと》がゐるやうに思《おも》つて、それを尊敬《そんけい》する人《ひと》がある。尊敬《そんけい》はどの種類《しゆるゐ》の人《ひと》にもある
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