全體《ぜんたい》世《よ》の中《なか》の人《ひと》の、道《みち》とか宗教《しうけう》とか云《い》ふものに對《たい》する態度《たいど》に三通《みとほ》りある。自分《じぶん》の職業《しよくげふ》に氣《き》を取《と》られて、唯《たゞ》營々役々《えい/\えき/\》と年月《としつき》を送《おく》つてゐる人《ひと》は、道《みち》と云《い》ふものを顧《かへり》みない。これは讀書人《どくしよじん》でも同《おな》じ事《こと》である。勿論《もちろん》書《しよ》を讀《よ》んで深《ふか》く考《かんが》へたら、道《みち》に到達《たうたつ》せずにはゐられまい。しかしさうまで考《かんが》へないでも、日々《ひゞ》の務《つとめ》だけは辨《べん》じて行《ゆ》かれよう。これは全《まつた》く無頓著《むとんちやく》な人《ひと》である。
 次《つぎ》に著意《ちやくい》して道《みち》を求《もと》める人《ひと》がある。專念《せんねん》に道《みち》を求《もと》めて、萬事《ばんじ》を抛《なげう》つこともあれば、日々《ひゞ》の務《つとめ》は怠《おこた》らずに、斷《た》えず道《みち》に志《こゝろざ》してゐることもある。儒學《じゆがく》に入《
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