そして當寺《たうじ》では何《なに》をしてをられますか。」
「拾《ひろ》はれて參《まゐ》つてから三|年《ねん》程《ほど》立《た》ちました時《とき》、食堂《しよくだう》で上座《じやうざ》の像《ざう》に香《かう》を上《あ》げたり、燈明《とうみやう》を上《あ》げたり、其《その》外《ほか》供《そな》へものをさせたりいたしましたさうでございます。そのうち或《あ》る日《ひ》上座《じやうざ》の像《ざう》に食事《しよくじ》を供《そな》へて置《お》いて、自分《じぶん》が向《む》き合《あ》つて一しよに食《た》べてゐるのを見付《みつ》けられましたさうでございます。賓頭盧尊者《びんづるそんじや》の像《ざう》がどれだけ尊《たつと》いものか存《ぞん》ぜずにいたしたことゝ見《み》えます。唯今《たゞいま》では厨《くりや》で僧共《そうども》の食器《しよくき》を洗《あら》はせてをります。」
「はあ」と言《い》つて、閭《りよ》は二足《ふたあし》三足《みあし》歩《ある》いてから問《と》うた。「それから唯今《たゞいま》寒山《かんざん》と仰《おつ》しやつたが、それはどう云《い》ふ方《かた》ですか。」
「寒山《かんざん》でございますか。これは當寺《たうじ》から西《にし》の方《はう》の寒巖《かんがん》と申《まを》す石窟《せきくつ》に住《す》んでをりますものでございます。拾得《じつとく》が食器《しよくき》を滌《あら》ひます時《とき》、殘《のこ》つてゐる飯《めし》や菜《さい》を竹《たけ》の筒《つゝ》に入《い》れて取《と》つて置《お》きますと、寒山《かんざん》はそれを貰《もら》ひに參《まゐ》るのでございます。」
「なる程《ほど》」と云《い》つて、閭《りよ》は附《つ》いて行《ゆ》く。心《こゝろ》の中《うち》では、そんな事《こと》をしてゐる寒山《かんざん》、拾得《じつとく》が文殊《もんじゆ》、普賢《ふげん》なら、虎《とら》に騎《の》つた豐干《ぶかん》はなんだらうなどと、田舍者《いなかもの》が芝居《しばゐ》を見《み》て、どの役《やく》がどの俳優《はいいう》かと思《おも》ひ惑《まど》ふ時《とき》のやうな氣分《きぶん》になつてゐるのである。
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「甚《はなは》だむさくるしい所《ところ》で」と云《い》ひつゝ、道翹《だうげう》は閭《りよ》を厨《くりや》の中《うち》に連《つ》れ込《こ》んだ。
こゝは湯気《ゆげ》が一ぱい籠《こ》もつてゐて、遽《にはか》に這入《はひ》つて見《み》ると、しかと物《もの》を見定《みさだ》めることも出來《でき》ぬ位《くらゐ》である。その灰色《はひいろ》の中《なか》に大《おほ》きい竈《かまど》が三つあつて、どれにも殘《のこ》つた薪《まき》が眞赤《まつか》に燃《も》えてゐる。暫《しばら》く立《た》ち止《と》まつて見《み》てゐるうちに、石《いし》の壁《かべ》に沿《そ》うて造《つく》り附《つ》けてある卓《つくゑ》の上《うへ》で大勢《おほぜい》の僧《そう》が飯《めし》や菜《さい》や汁《しる》を鍋釜《なべかま》から移《うつ》してゐるのが見《み》えて來《き》た。
この時《とき》道翹《だうげう》が奧《おく》の方《はう》へ向《む》いて、「おい、拾得《じつとく》」と呼《よ》び掛《か》けた。
閭《りよ》が其《その》視線《しせん》を辿《たど》つて、入口《いりくち》から一|番《ばん》遠《とほ》い竈《かまど》の前《まへ》を見《み》ると、そこに二人《ふたり》の僧《そう》の蹲《うづくま》つて火《ひ》に當《あた》つてゐるのが見《み》えた。
一人《ひとり》は髮《かみ》の二三|寸《ずん》伸《の》びた頭《あたま》を剥《む》き出《だ》して、足《あし》には草履《ざうり》を穿《は》いてゐる。今《いま》一人《ひとり》は木《き》の皮《かは》で編《あ》んだ帽《ばう》を被《かぶ》つて、足《あし》には木履《ぽくり》を穿《は》いてゐる。どちらも痩《や》せて身《み》すぼらしい小男《こをとこ》で、豐干《ぶかん》のやうな大男《おほをとこ》ではない。
道翹《だうげう》が呼《よ》び掛《か》けた時《とき》、頭《あたま》を剥《む》き出《だ》した方《はう》は振《ふ》り向《む》ひてにやりと笑《わら》つたが、返事《へんじ》はしなかつた。これが拾得《じつとく》だと見《み》える。帽《ばう》を被《かぶ》つた方《はう》は身動《みうご》きもしない。これが寒山《かんざん》なのであらう。
閭《りよ》はかう見當《けんたう》を附《つ》けて二人《ふたり》の傍《そば》へ進《すゝ》み寄《よ》つた。そして袖《そで》を掻《か》き合《あは》せて恭《うや/\》しく禮《れい》をして、「朝儀大夫《てうぎたいふ》、使持節《しぢせつ》、台州《たいしう》の主簿《しゆぼ》、上柱國《じやうちゆうこく》、賜緋魚袋《しひ
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