はり》を見廻すと、ブランがわたくしの上にかぶさるやうになつて立つてゐて、目をきよろきよろさせて、森の方へ指ざしをして、かう云ふのです。「起きないか。来やがつた。連れ戻しに来やがつた。」
わたくしがその指ざしをしてゐる方を見ますと、木の間に兵隊がゐるぢやありませんか。
その内の一人で、一番前にゐるのが、銃でこつちを狙つてゐます。今一人はこつちの方へ駈けて来ようとしてゐます。その跡から山を下りて来掛かつてゐるのが三人あります。皆銃を持つてゐます。
わたくしは直ぐに気分がはつきりしました。そして大声で同志の者を呼びました。同志の者は皆同時に起き上がりました。そしてさつき狙つてゐた兵卒が射撃をしてしまふや否や、みんなで向うへ飛び込んで行きました。」
ワシリは逆《のぼ》せたやうな顔をして黙つて、俯向いた。余り熱心に話して、薪をくべる事を忘れたものだから、煖炉の火が燃えなくなつて、天幕の内は薄暗くなつてゐる。
ワシリは訟《うつた》へるやうな調子で云つた。「一体なんだつてこんな話をし出したのでせう。」
「どうでも好いぢやないか。しまひまで話してくれ。それからどうしたのだ。」
「それからですか。兵卒は六人でした。こつちは十二人でせう。なんでもわたくし共の寝てゐる所へ踏み込んで掴まへようとしたのですね。併しこつちは兵卒共に考へる時間を与へなかつたのです。わたくし共は大きなナイフを持つてゐます。向うは只一度打つた切りで、それも慌てゝ狙ひが逸《はづ》れました。皆山から駈け下りて来るはずみで、踏み留まる事が出来ません。それを下で待ち受けてゐたのですね。
そこでわたくし共が飛び込んで行くと、向うはしかと防ぐ事も出来なかつたのです。こつちはまるで気の違つた狼のやうな勢で飛び付くのに、向うはやつと銃剣の尖で防いでゐるのです。
兵卒の一人が銃剣でわたくしを突かうとします。それがわたくしの足をかすりました。わたくしは躓《つまづ》いて転びました。その上へ兵卒が乗り掛かつて来ました。その兵卒の上へマカロフが飛び付きました。その時わたくしの顔へ、上の方から温《ぬく》いものがだらだらと流れ掛かりました。わたくしとマカロフとは起き上がつたが、その兵卒はとうとう起き上がりませんでした。
わたくしは飛び起きて、周囲を見廻しました。丁度その時同志の二人が、岩の上へ駈け上がつて行きます。その向うに立つ
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