あるでしょう。
画家。直《すぐ》に始めようというのか。
モデル。造做《ぞうさ》はありませんわ。拭巾があるならお出しなさいよ。
画家。せっかちだなあ。(その内娘は左手の箪笥を開け探す。画家絵具入の抽斗《ひきだし》を抜き出《いだ》す。)ここだ、ここだ。(抽斗にある艶拭巾《つやぶきん》を二枚|出《いだ》して投げ遣《や》る。娘は直《すぐ》に箪笥を拭き始め、その上の品物を一々《いちいち》拭きて工合好く据直す。画家は紙巻を一本吸付け、窓を背にして、銅版の置きある机に寄りかかり、娘のする事を見ている。)
モデル。(一方の画架の処に膝《ひざ》を突き、掃除をしつつ徐《しずか》に。)今度おかきになるものには顔のがお入用《いりよう》なのではないでしょうか。顔の役に立つモデルが。
画家。なぜ。(莨を喫む。)
モデル。(立ちて左手の壁の額を掃除す。)わたしでは手と足しきゃお役に立たないのですもの。(画家は娘を見ている。娘は画家が返事をせざる故向き返り顔を見る。画家は突然紙巻を投げ捨て、画架に飛付く。)
画家。じっとしていろ。動いちゃあいけないぞ。(娘はその姿勢を崩さずにいる。画家は画室をあちこち駈《か》け廻《ま
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