年学校に入れたのだそうです。処が規則で縛って置きにくい性質なので、十五の時にとうとう幼年学校から退学してしまったそうです。それから大学にはいっていたことがあるらしいのですが、その間《あいだ》の事は好くわかりません。旅行した国々はロシア、ドイツ、フランス、イタリアです。ロシア趣味はたっぷりその作品に出ています。優しい、情深い、それかと思うと、忽然《こつぜん》武士的に花やかになって、時として残酷にもなるような処があります。そこをショパンの音楽のようだと云《い》った人がありましたっけ。社会というものに対する態度には、トルストイ臭い処もありますね。独逸《ドイツ》ではウォルプスヴェエデの画かき村にはいり込んで、あそこの連中と心安くして、評論を書きました。都会嫌だから、伯林《ベルリン》なんぞには足を留《と》めないらしいのです。尤もハウプトマンは大好《だいすき》と見えます。フランスではロダンの為事場《しごとば》に入り浸りになっていて、ロダンの評を書いたのですが、ロダンを評したのだか、自家の主観を吐露《とろ》したのだか分からないような、頗《すこぶ》る抒情的《じょじょうてき》な本になってしまったのです。兎《と》に角《かく》おそろしい傾倒のしようなのです。全く惚《ほ》れ込んでいるのです。イタリアでは就中《なかんずく》ヴェネチアが好なのです。今の大陸の欧羅巴《ヨオロッパ》は死んだ欧羅巴だというので、生気のあった時代の遺蹟を慕って、「過去の岸に沿うて舟を行《や》る」というのです。
記者。それでは画家や彫塑家の評論を遣《や》る外は大抵抒情詩を遣っているのでしょうね。
森。そうです。本領は抒情詩にあるのです。跡で著述目録を御覧に入れましょう。先頃《さきごろ》我《わが》百首の中《うち》で、少しリルケの心持《こころもち》で作って見ようとした処が、ひどく人に馬鹿《ばか》にせられましたよ。
記者。小説はありませんか。
森。あります。短篇集《たんぺんしゅう》を四冊出しています。尤も「可哀《かわい》い神様の事」という方は、切れていて続いているような話です。あどけない、無邪気な、そして情《じょう》の深い作です。子供に話すのだということになっていますが、もし子供に小説が書けたら、あんな物が出来ようかと思う程です。日本なんぞであんな物を書いたら、人がさぞ馬鹿にすることでしょう。
記者。脚本は家常茶飯の外にまだありますか。
森。いいえ。外には絶板になっているのと雑誌に出た一幕物《ひとまくもの》と二つあるばかりです。どれも側《はた》から失敗の作だと云ったので、作者も跡を作らないのでしょう。しかし生意気な事を言うようですが、家常茶飯は成功の作かも知れないと思います。
記者。何故《なぜ》失敗だと云ったのでしょう。
森。ドラマチカルでないと云うのですよ。そりゃあヘッベルの作やなんぞを見る標準で見られては駄目でしよう。イブセンのような細工もありません。しかし底には幾多の幻怪なものが潜んでいる大海の面《おもて》に、可哀らしい小々波《さざなみ》がうねっているように思われますね。
記老。そんな作ですか。一体家常茶飯というのはどういうわけですか。
森。原語は日常生活です。しかしそう云っては生硬になるのが嫌《いや》です。家常茶飯と云うと、また套語《とうご》の嫌《きらい》がある。それでも生硬なのよりは増《まし》だと思うのは、私だけの趣味なのです。もっと優しい、可哀らしい、平易な題が欲しいのですが、見附《みつ》かりませんでした。
記者。この脚本に対する批評は伺われませんか。
森。それはしたくありませんね。しかしただ一つ申して置きたい事があります。それはこの脚本の主意でも何でもない。ただその中《うち》のエピソオドに現われている一事件です。主人公の画家の姉《ね》えさんとおっ母《か》さんとの間の関係です。姉えさんがおっ母さんに対して尽している処を見ますと、その形跡から見れば、天晴《あっぱれ》孝子です。よめにも行かないで、一身を犠牲にしておっ母さんを大切にしています。そこでその思想はどうです。あの弟との対話をよく読んで御覧なさい。われわれの教えられている孝という思想は跡形もなく破壊せられてしまっています。決して母だから大切にするのではないのです。そこで今ここに一人の葡萄茶式部《えびちゃしきぶ》がいると想像して御覧なさい。そしてその娘もおっ母さんを大切にしているのです。この娘は高等の教育を受けたので、英語が読めます。そこで現代詩人の作を読んでいるのです。この娘の思想は、脚本にある画家の姉えさんの思想と違っているでしょうか。同じでしょうか。一寸《ちょっと》これだけの事でも考えて見れば、深く考えて見れば、倫理上教育上の大問題です。ねえ。そうではありませんか。私の申す事が、あなたに好くおわかりになりましたか、どう
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