名遣と云ふものははつきり[#「はつきり」に傍点]存在して居るもののやうに認めて居ります。契冲《けいちゆう》以來の古學者の假名遣と云ふものは、昔の發音に基いたものではあるけれども、今の發音と較《くら》べて見ても其の懸隔が餘り大きくはないと思ふ。即ち根底から之《これ》を破壞して新に假名遣を再造しなければならぬと云ふ程懸隔しては居らぬやうに見て居ります。凡《おほよ》そ「有物有則」でありまして口語の上に既に則と云ふ者は自然にある。此の則と云ふことは文語になつて來てから又一層|精《くは》しくなるのであります。世界中で最も發音的に完全な假名は古い所では Sanskrit の音字、新しい所では伊太利《イタリア》の音字だと申します。而《しか》も我假名遣と云ふものは Sanskrit に較べてもそんなに劣つて居らぬやうな立派なものであつて、自分には貴重品のやうに信ぜられまする。どうか斯う云ふ貴重品は鄭重《ていちよう》に扱つて、縱令《たとひ》それに改正を加へると云ふにしても、徐々に致したいやうに思ふのであります。Max Mueller の言葉に「口語に頭絡《とうらく》と※[#「革+橿のつくり」、第3水準1
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