ゑ」と云ふときには和《わ》行の「ゑ」を書く。是れは獨逸の例で言ひますと、獨逸で「愛する」と云ふ詞で lieben と云ふ動詞があります。之れを形容詞にすると lieb となります。けれども「プ」の字を書かずに「ブ」の字を書いてある。斯う云ふ意味に假名遣の發音と相違する點を、主《お》もに語原的と外國では申して居るやうであります。斯う云ふ側のことを藤岡君の音義説に於て五十音圖に照して御説明になつたのであります。一體本會の状況を觀ますると云ふと、抑《そもそ》も假名遣と云ふものの存在からして疑はれて居る。有るか無いかの有無の論、少くも定つて居るか定つて居らぬかと云ふ定不定の御論があるのである。當局は兎に角極つた假名遣と云ふものはあるものだとお認めになつて居ります。併し芳賀博士の如きは、三宅《みやけ》博士にお答になつた言葉で見ると云ふと、多少條件付で假名遣の存在を認めて居られるけれども、殆ど極《きま》つて居らぬと云ふやうな風に御述べになつて居るやうに聽きました。其の極つて居らぬと云ふのは少數者しか用ゐて居らぬと云ふ意義であつたやうに聽きました。之に就いては私は後に又自分の意見を申します。自分は假
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