云ふことがあつて見ると云ふと、どうも境界がはつきり[#「はつきり」に傍点]しないやうに思ひます。どうも此の案は未だ十分熟して居るまいかと思ひます。教育團とか云ふものの意見と云ふのが、此の頃新聞に出て居りますが、大いに參考すべきことがあるやうに見受けます。大體の論は私は取りませぬけれども、此の諮詢案に對する教育團の意見と云ふものには宜しいところがあるかと思ひます。又國語の假名遣で未だ考へてないもの、例之ば「くぢら」か「くじら」か、「たはら」か「たわら」かと云ふやうなこと、是れも先刻の字音と同じく、斯う云ふことこそ國語調査會などで研究せられて其の結果を公認せられたら宜しいかと思ひます。兎に角字音にも國語にも假名遣に困難はありますけれども、凌ぐべからざる程の困難はないやうに思ひます。
そこで自分の意見を尚《な》ほ約《つゞ》めて申しますれば次の通りであります。第一に假名遣は成程性質上から保守的なものである。併しながら發音的の側から見ても大なる不都合があるものとは認めない。夫故《それゆゑ》に教科書などでは矢張假名遣の正則として之を用ゐられたいと云ふ、此點は陸軍省も一般に其の意見であります。第二
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