らうかと云ふ疑があり得ると思ひます。古い拉甸《ラテン》語の如きはあれは Latium の中の Roma の上流者の言葉である。それを Livius Andronicus などの力で文語として、それを編成して、そこで拉甸語と云ふものが段々に歐羅巴《ヨオロツパ》全體にまで行はれるやうになつたと論じて居ります。或は日本のも初めからそんなものではあるまいか。さうして見ると云ふと、昔の假名遣は國民全體の用ゐたものであるから是れは存在する權利があるが、今日は少數者が用ゐるからさう云ふ權利がないと云ふ議論は、或はさう疑も無い事實としては認められぬかとも思ふ。それから中世になりまして次第に此の一旦定つた文語の衰替を來し、言葉が亂れる、それを正さうと思ふ個人の運動が起つたのでありませう。先日も御引きになつた藤原基俊の保延《はうえん》のころ即ち十二世紀の「悦目抄《えつもくせう》」の假名遣、初て此の假名遣で詞の上中下に置く假名と云ふやうなことが出て來ました。次いで所謂定家假名遣が出て參りました。定家假名遣と云ふのは定家卿が「拾遺愚草《しふゐぐさう》」を清書させるときに大炊介《おほひのすけ》親行と云ふ人に之れを命じた、其の親行が書き方を定めたと云ふことに傳はつて居ります。世間に流布《るふ》してゐる定家假名遣と云ふものは親行の孫の行阿の「假名文字遣」に據るので、是れには種々な版があります。假名遣と云ふ語は一體其の邊から起つたのでありませう。此の定家假名遣と云ふものを國語の變遷に伴つて發音的に作つたものだと云ふやうに見た人も前からあります。けれども、どうもさうでないやうに思ふ。兎に角素直に発音に從つて作つたものでない、いろ/\な理窟がある。例へば四聲に由ると云ふやうなことを盛んに説いてあります。此四聲と云ふものに依つて定める定め方は頗《すこぶ》るこじつけ[#「こじつけ」に傍点]ではあるまいかと思はれます。芳賀博士も獨斷だと仰しやいましたが、餘程獨斷でございませうと思ひます。醫者の本を見ますると、中頃に陰陽五行を以て有ゆる病氣のことが説明してあります。丁度あゝ云ふ氣持がします。一體此中頃の定家假名遣と云ふものを國語の變遷と見るべきでありませうかと云ふことが問題であります。一體國語の變遷と云ふものは無論口語即ち方言にのみ有る筈である。是れはさうではなくして文語だけの一時の現象である。變遷と云ふことを Mueller は二つに別つてをりまして、言葉が本當に生長するのが本當の變遷である、それから言葉が衰替して來るのは別であると云つて居りますが、無論生長と云ふことは口語にしか無いのでありまして、假名遣にはないのでありますから、さうして見ると衰替現象であるのは明白であります。此の衰替の中でも殊に定家假名遣などは或時代の一の病氣のやうに見られるのであります。芳賀博士は少し之に付いて杞憂《きいう》を抱いて御出でになる。それは若し斯う云ふ時代の中世の變遷を認めなかつたならば、鎌倉以後の文學が度外視せられはすまいかと云ふのであります。其の主もなる證據は所謂「いひかけ」が證據になつて居る。是れは私はさうは思ひませぬ。「いひかけ」と云ふものは古代は少かつたのであります。萬葉集あたりは極く少い。「名が立つ」を「立田山」にかける等、成程皆同音である。同じ音でなければ「いひかけ」になつて居ない。然るに既に定家卿より前にも、是れが變化して來まして、變つた音の「いひかけ」がある。俊成卿は逢《あ》ひと云ふ波《は》行の「あひ」を草木の和行の藍《あゐ》に、其の外戀を木居《こゐ》にかける。こんな「いひかけ」が出て來ます。是れが成程定家假名遣の出た後には愈※[#二の字点、1−2−22]盛んになつて來て居りますけれども、是れは單に修辭上 Rhetorik 上の問題であります。昔は同音の「いひかけ」と云ふものがあつたのに、後世に至つて類音の「いひかけ」が出來たと斯う認定すれば、それで足つて居るのであります。之に付いて何か後世の人が極まりを付けようと思ふならば、上からかかつて居る假名に書くか、下で受ける方の假名に書くかと云ふことを極めて置きさへすれば、其位な規定を書方に設けたならば、之を認めて置いて一向|差支《さしつかへ》ない。類音の「いひかけ」が新に修辭上に出來たと思へば何の差支もありませぬ。それから定家假名遣と云ふものは、是れは少數者の用ゐたものであると云ふことになつて居ります。之には多少異議を挾み得るかも知れませぬ。北朝の文和、北朝の年號に文和と云ふのがあります、十四世紀の頃、彼の文和の頃に權少僧都《ごんせうそうづ》成俊が萬葉集の奧書をしました。それに「天下大底守彼式《てんかたいていかのしきをまもりて》、而異之族一人而無之《これにことなるやからひとりとしてこれなし》」、「彼式」と云ふのは定家假名遣
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