を見なかった。ただ一ついくらか手軟だと思ったのは、ほととぎすの記者が、鴎外も最早今まで我等に与えた程のものをば与うることを得ぬであろうと云ったくらいなものだ。ついでだから話すが、今の文壇というものは、鴎外|陣亡《うちじに》の後に立ったものであって、前から名の聞こえて居た人の、猶《なお》その間に雑《まじ》って活動しているのは、ほとんど彼ほととぎすの子規のみであろう。ある人がかつて俳諧《はいかい》は普遍の徳があるとか云ったが、子規の一派の永く活動しているのは、この普遍の徳にでも基《もとづ》いて居るものであろう。予が主筆のために説かんと約した鴎外漁史の事は此《ここ》に終る。しかし予は主筆に、予をして猶|暫《しばら》く語らしめん事を願う。想うにこの文を読むものは予に対《むか》って、汝は汝の分身たる鴎外の死んだのを見て、奈何《いかん》の観を作《な》すかと問うであろう。予はただ笑止に思うに過ぎぬ。予はただここに一※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《いっしゅ》の香を拈《ひね》ってこれを弔するに過ぎぬ。予にしてもし彼の偽の幸福のために、別方面の種々の事業の阻礙《そがい》をさえ忘るるものであった
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