り過ぎた位だ。時代は啻《ただ》に一つの大議論家を出したのみではなくて、ほとんど無数の大議論家を出して止《や》む時がない。即ち新文学士の諸先生がそれである。試みに帝大文学の初の数十冊を始として、同時に出た博文館の太陽以下の諸雑誌、東京の諸新聞を見たならば、鴎外と云う名に幾条の箭《や》が中《あた》っているかが知れるだろう。鴎外という名はこの乱軍の間に聞こえなくなった。鴎外漁史はここに死んだ。読者は新年の初刊を看《み》てここに至る時、縁起が悪いと云うかも知れない。しかし初春の狂言には曽我《そが》を演ずるを吉例としてある。曽我は敵討《かたきうち》で、敵を討てば人死のあることを免れない。況《いわん》や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩《もてあそ》んでいた泥孩《つちにんぎょう》が毀《こわ》れたに殊ならぬのだ。予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄《きよ》い赭土《あかつち》をぼろぼろと穴の中に翻《こぼ》すのを見て、地下の客がいかにも軟《やわらか》な暖な感を作すであろうと思ったことがある。鴎外の墓穴には沙礫《されき》乱下したのを見る外、ほとんど軟い土を投じたの
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