なら、予は我分身と与《とも》に情死したであろう。そうして今の読者に語るものは幽霊であろう。幽霊は怨めしいと云って出るものには極《き》まって居る。もし東京に残って居る鴎外の昔の敵がこの文を読んだなら、彼等はあるいは予を以て幽霊となし、我言を以て怨しいという声となすかも知れない。しかしそれは推測を誤って居る。敵が鴎外と云う名を標的《まと》にして矢を放つ最中に、予は鴎外という名を署する事を廃《や》めた。矢は蝟毛《いもう》の如く的に立っても、予は痛いとも思わなかった。人が鴎外という影を捉《とら》えて騒いだ時も、その騒ぎの止んだ後も、形は故《もと》の如くで、我は故の我である。啻《ただ》に故の我なるのみでは無い、予はその後も学んでいて、その進歩は破鼈《はべつ》の行くが如きながらも、一日を過ぎれば一日の長を得て居る。予は私《ひそか》に信ずる。今この陬邑《すうゆう》に在って予を見るものは、必ずや怨※[#「對/心」、第4水準2−12−80]《えんたい》不平の音の我口から出ぬを知るであろう。予は心身共に健で、この新年の如く、多少の閑情雅趣を占め得たことは、かつて書生たり留学生たりし時代より以後には、ほとん
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