を読んで、国の中枢の崇重《しゅうちょう》しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺《うかが》い知るに過ぎぬので、譬《たと》えば簾《れん》を隔てて美人を見るが如くである。新聞紙の伝うる所に依れば、先ず博文館の太陽が中天に君臨して、樗牛《ちょぎゅう》が海内文学の柄を把《と》って居る。文士の恒《つね》の言《こと》に、樗牛は我に問題を与うるものだと云って、嘖々乎《さくさくこ》として称して已《や》まないらしい。樗牛また矜高《きょうこう》自ら持して、我が説く所は美学上の創見なりなどと曰って居る。さてその前後左右に綺羅星《きらぼし》の如くに居並んでいる人々は、遠目の事ゆえ善くは見えぬが、春陽堂の新小説の宙外、日就社の読売新聞の抱月などという際立った性格のある頭が、肱《ひじ》を張って控えて居るだけは明かに見える。此等は随分博文館の天下をも争いかねぬ面魂《つらだましい》であるから、樗牛も油断することは出来まい。その外帝国文学という方面には、堂々たる東京帝国大学の威を借って、血気壮な若武者達が、その数幾千万ということを知らず、入り代り立ち代り、壇に登って伎《ぎ》を演じて居るようだ。これが即《すなわ》ち文壇
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