だ。この文壇の人々と予とは、あるいは全く接触点を闕《か》いでいる、あるいは些《いささか》の触接点があるとしても、ただ行路の人が彼往き我来る間に、忽《たちま》ち相顧みてまた忽ち相忘るるが如きに過ぎない。我は彼に求むる所がなく、彼もまた我に求むる所がない。縦《たと》いまた樗牛と予との如く、ある関係が有っても、それは言うに足らぬ事であって、今これを人に告ぐる必要を見ない。かように今の文壇の思想の圏外に予は立っていて、予の思想の圏外に今の文壇は立っている。福岡日日新聞が予に文壇の評を書けと曰うのは、我筆舌に課するに我思想の圏外の事を以てするのだ。予には文壇の評と云うものの書けぬことは、これで明《あきらか》であろう。そこで予は切角の請ながら、この事をば念頭に留《とど》めなかった。然るに主筆はまた突如として来られて、是非書けと促される。その情|極《きわ》めて慇懃《いんぎん》である。好《よ》し好し。然らば主筆のために強いて書こう。同じく文壇の評ではあるが、これは過去の文壇の評で、しかもその過去の文壇の一分子たりし鴎外漁史の事である。原《も》と主筆が予に文壇の評を求められるのは、予がかつて鴎外の名を以
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