を読んで、国の中枢の崇重《しゅうちょう》しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺《うかが》い知るに過ぎぬので、譬《たと》えば簾《れん》を隔てて美人を見るが如くである。新聞紙の伝うる所に依れば、先ず博文館の太陽が中天に君臨して、樗牛《ちょぎゅう》が海内文学の柄を把《と》って居る。文士の恒《つね》の言《こと》に、樗牛は我に問題を与うるものだと云って、嘖々乎《さくさくこ》として称して已《や》まないらしい。樗牛また矜高《きょうこう》自ら持して、我が説く所は美学上の創見なりなどと曰って居る。さてその前後左右に綺羅星《きらぼし》の如くに居並んでいる人々は、遠目の事ゆえ善くは見えぬが、春陽堂の新小説の宙外、日就社の読売新聞の抱月などという際立った性格のある頭が、肱《ひじ》を張って控えて居るだけは明かに見える。此等は随分博文館の天下をも争いかねぬ面魂《つらだましい》であるから、樗牛も油断することは出来まい。その外帝国文学という方面には、堂々たる東京帝国大学の威を借って、血気壮な若武者達が、その数幾千万ということを知らず、入り代り立ち代り、壇に登って伎《ぎ》を演じて居るようだ。これが即《すなわ》ち文壇だ。この文壇の人々と予とは、あるいは全く接触点を闕《か》いでいる、あるいは些《いささか》の触接点があるとしても、ただ行路の人が彼往き我来る間に、忽《たちま》ち相顧みてまた忽ち相忘るるが如きに過ぎない。我は彼に求むる所がなく、彼もまた我に求むる所がない。縦《たと》いまた樗牛と予との如く、ある関係が有っても、それは言うに足らぬ事であって、今これを人に告ぐる必要を見ない。かように今の文壇の思想の圏外に予は立っていて、予の思想の圏外に今の文壇は立っている。福岡日日新聞が予に文壇の評を書けと曰うのは、我筆舌に課するに我思想の圏外の事を以てするのだ。予には文壇の評と云うものの書けぬことは、これで明《あきらか》であろう。そこで予は切角の請ながら、この事をば念頭に留《とど》めなかった。然るに主筆はまた突如として来られて、是非書けと促される。その情|極《きわ》めて慇懃《いんぎん》である。好《よ》し好し。然らば主筆のために強いて書こう。同じく文壇の評ではあるが、これは過去の文壇の評で、しかもその過去の文壇の一分子たりし鴎外漁史の事である。原《も》と主筆が予に文壇の評を求められるのは、予がかつて鴎外の名を以
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