説家であるか。予が書いたものの中に小説というようなものは、僅に四つ程あって、それが皆|極《ごく》の短篇で、三四枚のものから二十枚|許《ばか》りのものに過ぎない。予がこれに費した時間も、前後通算して一週間にだに足るまい。予がもし小説家ならば、天下は小説家の多きに勝《た》えぬであろう。かように一面には当時の所謂《いわゆる》文壇が、予に実に副《かな》わざる名声を与えて、見当違の幸福を強いたと同時に、一面には予が医学を以て相交わる人は、他《あれ》は小説家だから与《とも》に医学を談ずるには足らないと云い、予が官職を以て相対する人は、他は小説家だから重事を托《たく》するには足らないと云って、暗々裡《あんあんり》に我進歩を礙《さまた》げ、我成功を挫《くじ》いたことは幾何《いくばく》ということを知らない。予は実に副わざる名声を博して幸福とするものではない。予は一片誠実の心を以て学問に従事し、官事に鞅掌《おうしょう》して居ながら、その好意と悪意とを問わず、人の我|真面目《しんめんもく》を認めてくれないのを見るごとに、独り自ら悲しむことを禁ずることを得なかったのである。それ故に予は次第に名を避くるということを勉《つと》めるようになった。予が久しく鴎外漁史という文字を署したことがなくて、福岡日日新聞社員にこれを拈出《ねんしゅつ》せられて一驚を喫したのもこれがためである。然《しか》るに昨年の暮に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《およ》んで、一社員はまた予をおとずれて、この新年の新刊のために何か書けと曰《い》うた。その時の話に、敢《あえ》て注文するではないが、今の文壇の評を書いてくれたなら、最も嬉《うれ》しかろうと云うことであった。何か書けが既に重荷であるに、文壇の事を書けはいよいよむずかしい。新聞に従事して居る程の人は固《もと》より知って居られるであろうが、今の分業の世の中では、批評というものは一の職業であって、能評の功を成就せんと欲するには、始終その所評の境界に接して居ねばならぬ、否身をその境界に置いて居ねばならぬものだ。文壇とは何であるか。今国内に現行している文章の作者がこれを形《かたちづく》って居るのであろう。予の居る所の地は、縦令《たとい》予が同情を九州に寄することがいかに深からんも、西僻《せいへき》の陬邑《すうゆう》には違あるまい。予は僅に二三の京阪の新聞紙
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