ゐ》して江戸を発した。「朝従熊軾発城東。海旭添輝儀仗雄。十月牢晴春意早。懸知封管待和風。」これが「晨出都邸」の絶句である。十一月五日に備中国の境に入つて、「入境」の作がある。此篇と前後相呼応してゐる。「熊車露冕入郊関。児女扶携挾路看。兵衛一行千騎粛。和風満地万人歓。」
その二十八
文化二年には蘭軒の集に「乙丑元日」の七律がある。両聯は措いて問はない。起二句に「素琴黄巻未全貧、朝掃小斎迎早春」と云つてある。未だ全く貧ならずは正直な告白で、とにもかくにも平穏な新年を迎へ得たものと見られる。結二句には二十九歳になつた蘭軒が自己の齢《よはひ》を点出してゐる。「歓笑優遊期百歳、先過二十九年身」と云ふのである。
七月十五日に蘭軒は木村|文河《ぶんか》と倶に、お茶の水から舟に乗つて、小石川を溯つた。此等の河流も今の如きどぶでは無かつただらう。三絶句の一に、「墨水納涼人※[#「騰」の「馬」に代えて「貝」、第3水準1−92−27]有、礫川吾輩独能来」と云つてある。墨水の俗を避け、礫川《れきせん》の雅に就いたのである。
茶山の事は蘭軒の懐に往来してゐたと見えて、「秋日寄懐菅先生」の七律
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