ん》さんは此稿の片端より公にせられるのを見て、わたくしに茶山の簡牘《かんどく》二十一通を貸してくれた。大半は蘭軒に与へたもので、中には第三者に与へて意を蘭軒に致さしめたものもある。第三者は其全文若くは截り取つた一節を蘭軒に寄示したのである。要するに簡牘は皆分家伊沢より出でたもので、彼の太華の手から思軒の手にわたつた一通も亦此コレクシヨンの片割であつただらう。今八月十六日の会合を説くには此簡牘の一通を引く必要がある。
茶山の書は次年八月十三日に裁したもので、此に由つて此文化紀元八月中旬の四日間の連続した事実を知ることが出来る。其文はかうである。「今日は八月十三日也、去年今夜長屋へ鵜川携具来飲、明日平井黒沢来訪、十五日舟遊、十六日黄昏貴家へ参、備前人同道、夫より茗橋々下茶店にて待月、却而逢雨てかへり候」と云ふのである。鵜川名は某、字《あざな》は子醇《しじゆん》、その人となりを詳《つまびらか》にせぬが、十三日の夜酒肴を齎して茶山を小川町の阿部邸に訪うたと見える。平井は澹所《たんしよ》、黒沢は雪堂であらう。澹所は釧雲泉《くしろうんせん》と同庚《どうかう》で四十六歳、雪堂は一つ上の四十七歳、並
前へ
次へ
全1133ページ中78ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング