示+古」、第3水準1−89−26]《せいこ》、字は維年《ゐねん》に作る。通称は将監《しやうげん》である。画を紫石応挙の二家に学んだ。明和六年生だから、此年三十五歳であつた。釧雲泉、名は就《しう》、字は仲孚《ちゆうふ》、肥前国島原の人である。竹田《ちくでん》が称して吾国の黄大癡《くわうたいち》だと云つた。宝暦九年生だから、此年四十六歳であつた。五年の後に越後国出雲崎で歿した。其墓に銘したものは亀田|鵬斎《ぼうさい》である。文河槐庵の事は上に見えてゐる。
茶山の集には「同犬冢印南今川剛侯伊沢辞安、泛墨田川即事」として、七絶七律|各《おの/\》一首がある。律の頷聯《がんれん》「杯来好境巡須速、句対名家成転遅」は印南に対する謙語であらう。蘭軒の集には「七夕後二日、陪印南茶山二先生、泛舟墨陀河、与源波響木文河釧雲泉川槐庵同賦」として七律二首がある。初首の七八「誰識女牛相会後、徳星復此競霊輝」は印南茶山に対する辞令であらう。後首の両聯に花火が点出してある。「千舫磨舷搶作響。万燈対岸爛争光。竹枝桃葉絃歌湧。星彩天花烟火揚。」わたくしは大胆な記実を喜ぶ。茶山は詩の卑俗に陥らむことを恐れたものか、一語
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