よき》舟の対《たい》を求められて、直《たゞち》に蛇目傘と答へたと蘭軒雑記に見えてゐるから、必ずや詩をも善くしたことであらう。

     その二十五

 印南、茶山、蘭軒と倶に、墨田川に花見舟を泛《うか》べた今川槐庵は、名は※[#「穀」の「禾」に代えて「一/豕」、7巻−49−上−7]《こく》、字は剛侯《かうこう》である。わたくしは※[#「穀」の「禾」に代えて「一/豕」、7巻−49−上−7]は毅ではないかと疑ふが、
第《しばら》く※[#「くさかんむり/姦」、7巻−49−上−8]斎《かんさい》詩集の録する所に従つて置く。
 山陽の撰んだ茶山の行状は、「正月召之東」の句に接するに、「遂告暇遊常州」の句を以てしてある。茶山の著述目録の中に、常遊記《じやういうき》一巻とあるのが、恐くは此行を紀したものであらう。しかしわたくしは未だ其書を見ない。姑《しばら》く集中の詩に就て検するに、常遊雑詩十九首があつて、中に太田と註した一絶がある。其転結に「五月久慈川上路、女児相喚采紅藍」と云つてある。久慈川に近い太田は、久慈郡太田であらう。五月の二字から推せば、さみだれの頃の旅であつただらう。蘭軒の集には其頃
前へ 次へ
全1133ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング