ない。しかし既に霧渓の師であつたと云へば、杏春より長じてゐたことは勿論であらう。又霧渓よりも長じてゐたであらう。霧渓は杏春より長ずること二歳であつた。
杏春の去つた後、沢は夫に文仲を養はむことを勧めたであらう。しかし夫瑞仙は聴かずに、養子を他家に求めた。先づ山脇道作の子が来り、次に堀本一|甫《ぽ》の子が来り、最後に田中俊庵の子が来つた。そして三人皆沢に斥《しりぞ》けられた。
武鑑を検するに、山脇道作は「法眼、寄合御医師、五十人扶持、京住居」と云つてある。堀本一甫は「奥御医師、御口科、二百俵十人扶持、築地中町」と云つてある。独り田中俊庵と云ふものが当時の幕府医官中に見えぬが、わたくしは前二人が官医であるより推して、田中も亦官医であらうとおもふ。わたくしは是は田中|俊川《しゆんせん》を謂つたものであらうとおもふ。田中俊川は武鑑に「表御番医師、百五十俵、芝田七丁目」と云つてある。「芝田」は芝の田町であらう。
山脇、堀、田中三氏の子が相踵《あひつ》いで逐はれた後に、当時籍を瑞仙の門人中に列してゐた上野国|上久方村《かみひさかたむら》医師村岡善左衛門|常信《つねのぶ》倅善次郎が養子にせられ
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