問へば、其|妾《せふ》を併せ問はざることを得ない。此には京水を生んだものが「家女」ではなくて妾だとしてある。そして此妾には猶二女があつたとしてある。
 直温の繕写《ぜんしや》した所の過去帖には、「憐山院粛徳玄俊居士、信卿、瑞仙弟、京水父、同(寛政)九丁巳八月二日、(中略)六十歳」と云ひ、「宗経軒京水瑞英居士、五十一歳、初代瑞仙長男、実玄俊信卿男、天保七丙申十一月十四日」と云つてある。此には京水が錦橋の弟玄俊|信卿《しんけい》の実子、錦橋の養子だとしてある。錦橋が「家女」に産ませた子でもなく、妾に産ませた子でもない。
 わたくしは嘗て再び京水を説いた時、以上の諸説を並べ挙げて疑を存して置いた。しかし三説中妾の子とする霧渓の説に重きを置いたのは、父霧渓の行状を結撰したのが、子直温の過去帖を繕写したより古いからである。何ぞ料《はか》らむ、京水自筆の巻物に拠るに、直温の過去帖には一の虚構だになくして、其他の文書は皆虚構であらうとは。京水が池田玄俊の子で、玄俊が錦橋初代瑞仙の弟であつたことは、今や争ふべからざる事実となつた。
 わたくしは此より玄俊京水父子の伝に入ることとする。是は未だ曾て世に公
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