名をお襲ぎなさいましたのですね。失礼ながら御実子でお出なさいますか。」
「いゝえ、わたくしは加賀の金沢のもので、池田家へ養子に参つたのです。」
「御尊父様は。」
「父は明治十四年に亡くなりました。」
わたくしの推測は偶中した。客は京水の孫であつた。京水の子全安に養はれて、其名を襲いだものであつた。
わたくしは客に池田京水に関する研究の経過を告げた。向島嶺松寺にあつた京水の墓は、曾て富士川游さんが往弔《わうてう》したのに、寺が廃せられて、他の池田氏の諸墓と共に踪跡《そうせき》を失した事、諸墓の中池田宗家に係る錦橋以下数人の墓石は、其末裔鑑三郎さんに由つて処分せられ、其|法諡《はふし》は一石に併せ刻せられて、現に上野共同墓地に存する事、然るに分家の一なる京水の一族の墓は其なりゆきを知ることを得なかつた事等である。
わたくしは江戸|黄檗禅刹記《わうばくぜんさつき》の事をも客に告げた。禅刹記に嶺松寺を載せ、併て池田氏の墓に及んでゐることは、人あつてわたくしに教へた。その錦橋の墓誌を録してゐることは推知せられる。しかし京水の墓誌は有らうか無からうか。わたくしは前《さき》に再び池田氏の事を説
前へ
次へ
全1133ページ中687ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング