》仮名違等は直に改めた。若し其原形を知らむと欲する人があるなら、屠赤瑣々録《とせきさゝろく》に就て検してもらひたい。又わたくしは事実を討《もと》むるに急なるがために、翫味するに堪へたる抒情の語をも、惜しげなく刪《けづ》り去つた。例之《たとへ》ば「猶さら此せつは主人(の)すきなすゐせんの花どもさき、一しほ/\おもひ出し候て、いく度か/\かなしみ候」の類である。水西荘の水仙花は里恵をして感愴《かんさう》せしむること甚深であつたと見えて、その小野氏に寄せた一書にも、これに似た語がある。森田思軒が「人情の極至亦詩情の極至」と評した語である。小野氏に寄せた書は「閏月十日」の日附があつて、広江夫妻に寄するものに先《さきだ》つこと十五日である。前書を裁した時|痘《とう》を病んでゐた陽が、後書を裁する時既に愈《い》えてゐる。
 広江夫妻に寄する書は事実を蔵すること極て富饒である。それゆゑにわたくしは此書に史料としての大なる価値を賦与する。それゆゑにわたくしは、諸山陽伝中山陽の終焉及其歿後の事を叙する段は、此書牘に拠つて改訂せらるべきものなることを信ずる。
 わたくしの上《かみ》に引いた文は山陽歿後の事
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