す。里恵の書に拠るに、頼山陽が歿前に政記の校訂を託したのは関五郎であつた。そして政記は後に当時の石川成章の補訂を経て世に問はれた。関五郎と石川成章との間を媒介するものは只此のみである。
わたくしは無用の辨をなすものでは無い。わたくしは問題なき処に故《ことさら》に問題を構へ成すものでは無い。しかしわたくしは一の証拠を得むことを欲する。関藤藤陰が石川氏を冒してゐた中間に、暫く関氏五郎若くは石川氏関五郎と名告《なの》つたと云ふ一の証拠を得むことを欲する。
人はわたくしの此|言《こと》を聞いて、或は近出の諸山陽伝を以てこれが証に充てようとするであらう。しかし諸伝に「通称淵蔵又関五郎、和介、後文兵衛」と云ひ、「通称を淵蔵、中ごろ和介又は関五郎と云ひ、後文兵衛と改む」と云ふ類は、朗廬の文中適宜の処に「関五郎」の三字を插入したるが如くに見える。若し是が插入であるならば、わたくしは何の拠るところがあつて插入せられたかを知らむことを欲する。若し又単に日本政記の校訂者が関五郎であつた、関藤藤陰が日本政記を補訂して世に問うたと云ふを以て插入せられたとすると、わたくしの問題は未解決の儘に存することとなるで
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