》より索《もと》め出さうとするのである。
書牘は此年壬辰閏十一月二十五日に作られたものである。即ち山陽歿後第九十一日である。里恵はこれを赤間関《あかまがせき》の秋水広江※[#「金+庸」、第3水準1−93−36]《しうすゐひろえよう》と其妻とに寄せた。
わたくしは今全文を此に引くことをなさない。何故と云ふに、屠赤瑣々録は広く世に行はれてゐる書で、何人も容易に検することが出来るからである。此には山陽終焉の記を抄するに止める。そして原文の誤字、仮名違の如きは、特に訂正して読み易きに従はしめる。是は文書の真形を伝へむがために写すのでなく、既に世に行はれてゐる文書の内容を検せむがために引くのだからである。
その二百六
「一筆申上為参候。(中略。)扨|久太郎《ひさたらう》事此六月十二日よりふと大病に取あひ、誠にはじめは、ちも誠に少々にて候へども、新宮《しんぐう》にもけしからぬむづかしく申候。久太郎もかくごを致し、私どもにもつね/″\申して、ゆゐごんも其節より申おかれて候やうな事にて、かくても何分と申、くすりをすゝめ、先々天だう次第と自分も申ゐられ候。六月十三日より、かねて一両年心
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