る干支は、此年享和紀元の辛酉である。わたくしは此詩暦を得て大いに心強さを覚える。わたくしは此より此詩暦を栞《しをり》とし路傍|※[#「土へん+侯」、第4水準2−5−1]《こう》として、ゆくての道をたどらうとおもふ。

     その二十二

 蘭軒は此年享和元年の元日に七律を作つた。※[#「くさかんむり/姦」、7巻−43−上−14]斎詩集の「辛酉元日口号」が是である。首句に分家伊沢の当時の居所が入つてゐるのが、先づわたくしの注意を惹く。「昌平橋北本江郷」と云つてある。本江《ほんごう》の郷《きやう》と訓《よ》ませる積であつたのだらう。
 次に蘭軒生涯の大厄たる脚疾が、早く此頃に萌してゐたらしい。詩集は前に云つた元日の作の後に、文化元年の作に至るまでの間、春季の詩六篇を載せてゐるのみである。わたくしは姑《しばら》く此詩中に云ふ所を此年の下《もと》に繋《か》ける。蘭軒は二月の頃に「野遊」に出た。「数試春衣二月天」の句がある。此野遊の題の下に、七絶二、七律一、五律一が録存してあつて、数試春衣《しば/\しゆんいをこゝろみる》二|月天《ぐわつのてん》は七律の起句である。然るにこれに次ぐに「頓忘病脚
前へ 次へ
全1133ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング