ずべき人ではない。
その百九十七
此年天保元年十月二十一日は、福山へ立つた榛軒が始て留守に寄する書を作つた日である。宇津の山|輿中《よちゆう》にあつて筆を把ると云つてある。
榛軒は最も妻《さい》勇《ゆう》のために心を労してゐたらしく、柏軒に嘱して「勇の挙止に気を附けよ」と云つてゐる。又「勇をして叔母をいたはらしめよ」とも云つてゐる。「叔母」は蘭軒の妻《つま》益《ます》の姉で、飯田休庵の女《ぢよ》、杏庵の妻である。此人は榛軒の家に寄寓してゐたらしい。蘭軒の姉|正宗院《しやうそうゐん》の事は、只「溜池に宜く伝へよ」と云つてある。
二十二日より二十三日に至る間に作つた榛軒の書には、「お長の不快いかが」と問うてある。妹長が病んでゐたと見える。
二十四日の榛軒の書は鳴海駅丁字屋吉蔵の家に投じた夜に作つたものである。江戸より伴ひ来つた僕弥助に暇《いとま》を遣つて帰省せしめたことが書いてある。又「※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の風邪いかが」と云つてある。妹長と云ひ、狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎と云ひ、皆榛軒が江戸を発する前に病んでゐたのであらう
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