籍上の身分、茶山の姪《てつ》と書したのは血統上の身分である。
最後に第九、蘭軒の世話で「可也にとりつづきゐ申候よし」と云ふ「千蔵」がある。即ち初めわたくしがその何人《なにひと》たるを知るに苦んだ頼竹里《らいちくり》である。竹里は蘭軒の江戸を発するとき、遠くこれを板橋に送つた。わたくしは富士川游さんの言《こと》を引いて、頼は或は伊沢氏に寄寓してゐたのではなからうかと云つた。しかし是は錯《あやま》つてゐた。「さだめて時々参上御せわに成可申候」と云つてある。
茶山が蘭軒を七日市《なぬかいち》に迎へ、神辺に伴ひ帰り、更に送つて尾道に至つたことは、長崎紀行の詳記する所である。茶山は丙寅六月十七日尾道油屋の夜宴の後、十八日には油屋で「すこし休息」した。その黄葉夕陽村舎《くわうえふせきやうそんしや》に帰つたのは「十八日夜也」と云つてある。蘭軒が「ぬた本郷駅、松下屋木曾右衛門の家に宿」した夜である。
茶山は常に神辺を「神のべ」と書してゐる。此書牘も亦同じである。刊本「筆のすさび」の如きは、ことさらに「かんのべ」と傍註してある。按ずるに文化文政頃の備後人は此《かく》の如く称へてゐたのであらう。
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