し、前年に茶山を哭した。落莫の感なきことを得なかつたであらう。「近来頻哭友。徒寿笑吾身。」
 集中此年の詩は大半柏軒の浄書する所である。六月後には蘭軒は一首をだに自書してゐない。
 此年市野氏では迷庵の子光寿が四十一歳になつてゐた。狩谷氏では隠居※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が五十四歳、戸主|懐之《くわいし》が二十五歳であつた。多紀氏では矢の倉の※[#「くさかんむり/(匚<(たてぼう+「亞」の中央部分右側))」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》が三十四歳、向柳原《むかうやなぎはら》の宗家は前年|柳※[#「さんずい+片」、第3水準1−86−57]《りうはん》が歿して、暁湖《げうこ》の世になつてゐた。蘭軒の門人中渋江抽斎は二十四、森枳園は二十二であつた。
 頼氏では山陽が此春水西荘に山紫水明処を造つた。「却向東南贅一室。要将三面看梅花。」
 是年蘭軒五十二、妻益四十六、榛軒二十五、常三郎二十四、柏軒十九、長十五であつた。榛軒の妻|勇《ゆう》は年紀不詳である。

     その百八十七

 文政十二年は蘭軒終焉の年である。「己丑元旦」の詩は榛軒《しんけん》が浄書してゐる。
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