入つた。その甲申の歳に神辺《かんなべ》にゐた子彦なることは復《また》疑を容れない。藤某は恐くは佐藤一斎であらう。「嘗居菅子家。詞藻摘花粋。近入藤翁門。道機披帳秘。」士彦が郷に帰るのは、父の病めるが故である。そして其|発※[#「車+刄」、第4水準2−89−59]《はつじん》は七月中であつた。「節惟当孟秋。忽爾説帰思。非是想※[#「くさかんむり/純」、7巻−363−上−13]鱸。昨逢郷信寄。家翁報抱痾。胸臆真憂悸。」蘭軒は士彦の父の病の※[#「やまいだれ+差」、第4水準2−81−66]《い》ゆべきを説いてこれを慰め、その再び江戸に来て業を畢《を》へむことを勧めてゐる。「椿堂元健強。微恙愈容易。重作東来謀。偏期夙望遂。(中略。)登躋斯崑岡。幸増君腹笥。」
 後に浜野福田両氏に聞けば、山室子彦、名は俊《しゆん》、通称は武左衛門、汲古《きふこ》と号した。其父名は恭、箕陽《きやう》と号した。
 阿部正寧に次韻した詩は七絶である。正寧の帰藩の月日は、伯爵家の記録を検して知ることが容易であらう。「干旄孑孑上途程。千騎従行秋粛清。遙想仁風吹遍処。満疆草樹報歓声。」

     その百八十六

 此年文政
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