「馬歯今朝八十盈、回首志業一無成」と云ひ、又「臥痾恨欠拝新正、無奈衰躬負我情」と云つてゐる。皆人をして其衰況を想はしむる語である。
九日の草堂集には蘭軒が七律一首を得た。題の下に「示社中諸子及二児」と註してある。
後に引くべき生日後の尺牘断片に、茶山はかう云つてゐる。「正月十一日(阿部侯|正寧《まさやす》の館《たち》に)罷出候。御手のし頂戴は相すみ、又御目通に出よとのこと、さむさはさむし、腹はつかへる、御断申帰候。」亦「無奈衰躬負我情」の句の註脚とすべきものである。
二十五日に茶山は蘭軒に書を寄せた。書は文淵堂の花天月地《くわてんげつち》中にある。本文は代筆で、首尾両端と行間とに自筆の書入がある。本文。「新年の御慶重畳申収候。尊家愈御安祥御迎被成候覧奉恭賀候。私無事越年仕候乍憚御安意可被成下候。右年甫御祝辞申上度如此に御座候。恐惶謹言。正月廿五日。菅太仲晋帥。伊沢辞安様侍史。」此中「晋帥」の二字だけが茶山の自署である。此より自筆の書入を写し出すことゝする。「尚々私も追々と老耄、手もすこし宛《づゝ》かなはぬやうになり候故、本文代筆に候。真平御免可被下候。吾兄も年よればかくなり候を思
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