詩引は諷刺の意が寓してあるのではないかと疑ふ。詩は略する。其二は「篠池千賀亭宿題」の詩で、「冬日朝起」を題として居る。千賀亭集は其日を詳《つまびらか》にしない。
此年阿部家に代替《だいがはり》があつた。棕軒正精《そうけんまさきよ》は六月二十日に卒して、子|正寧《まさやす》が家を継いだ。菅茶山の「除日」の詩に、「頑仙堪恥亦堪喜、及見今公行部時」と云つてある。是より先茶山は十二月二十二日に正寧に謁して物を賜はつた。次年に蘭軒に与へた書に、「君公御入国に而《て》一度めされ候時病気に而御断申上候、其のち又めされ御居間にて御酒頂戴、かへりには御盃、筆墨箋、たばこ入をいただき候、十二月廿二日也」と云つてある。詩集にも亦一絶が見えてゐる。「十二月廿二日始謁公、賜酒食及菓子諸文具等。熊車行部市朝歓。政見江山瑞気攅。敢謂荒村樵父伴。近攀綺席侍杯盤。」
茶山の再び妻を喪《うしな》つたのも亦此年である。行状に「配内海氏早亡、継室門田氏有内助之方、先歿、年七十、無子」と云つてある。集に悼亡の詩三首があつて、中に「久托衰躬只一妻、奈何老鶴乍孤棲」の句がある。
頼氏では山陽の妹十が此年に歿した。「忽得凶音読
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