江戸に於て夫北条霞亭を喪ひ、幼女とらを率《ゐ》て神辺《かんなべ》に帰り、前年の秋に又其幼女をさへ喪つた。「とかく煩申候。夏も秋もさむく候。」敬の服する方剤の中に楊皮と云ふものがある。「蕃名キヤキヤとか申候」と註してある。是は今謂ふ規那皮《キナひ》であらう。本米国の土語キナキナは樹皮中の樹皮の義で、西班牙《スパニア》人が欧洲に伝へ、和蘭《オランダ》人が我国に伝へた。キヤキヤは当時の蘭名キンキナの転訛《てんくわ》であらう。敬の病は医家の規那煎《キナせん》を用ゐさうな病であつた。敬は書中に見えた人物の第一である。
第二に「堯佐妻」が書中に見えてゐる。此女も病に臥してゐた。わたくしは門田《もんでん》氏の事を詳《つまびらか》にしない。浜野知三郎、福田禄太郎二家の言《こと》に拠るに、茶山の継室門田|伝内政峰《でんないせいほう》の長女に妹があつて、備後国|安那郡《やすなごほり》百谷《ももたに》村の山手《やまて》八右衛門重武に嫁した。此女は八右衛門の歿後に里方|法成寺《ほじやうじ》村の門田氏に帰り、男子《なんし》一人は孤《みなしご》となつて門田|政周《せいしう》に養はれ、其子儀右衛門|政賚《せいらい
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