忠がために詩を賦したのである。
 蘭軒の詩に云く。「金言為贈非吾事。彩筆壮行別有人。偏想君経榛海路。荻花楓葉月明新。」此時樸忠は正に四十歳であつた。
 八月二十七日の由緒書の文に、「帰郷之御目見御意拝領物」と云つてある。樸忠は秋のうちに福山に帰つたことであらう。
 福山に帰つた後、樸忠は「城番席」を勤めてゐて、天保八年十月十三日に六十二歳にして致仕し、新五郎忠同が家を継いだ。しかし忠同は十年三月廿九日に父に先《さきだ》つて歿した。鶴岡氏の記する所に従へば、樸忠は我郷《わがきやう》の大国隆正、福羽|美静《よししづ》と相識つてゐたと云ふ。
 ※[#「くさかんむり/姦」、7巻−332−上−8]斎詩集の此秋の詩は凡《すべ》て十一首ある。七夕一、八月十三日静宜亭集宿題巌桂、観濤二、同席上|村醸新熟《そんぢやうしんじゆく》一、中秋一、送敦卿一、以上六首の末に、「遊仙曲」一首、九月二十三日静宜亭集の詩四首がある。此四首は宿題「塞下曲」一、「貴人郊荘菊叢盛開、就偸一賞」二、席上「鳴鹿」一である。静宜亭の詩会は此年四月に始まつて九月に終つた。

     その百六十九

 此年文政八年の秋には、蘭軒の家
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