ある。霞亭は夏に入つて猶福山にゐたのである。
 しかし此差は猶小い。わたくしは別に大いに誤つたことがある。それは霞亭が東に召された時初より孥《ど》を将《ひきゐ》て徙《うつ》つたとなした事である。実は霞亭は初め単身入府し、尋で一旦帰藩し、更に孥を将て東徙した。此事は夙《はや》く浜野氏が親くわたくしに語つた。若しわたくしが精《くは》しく山陽の文を読んだなら、此の如き誤をばなさなかつたであらう。山陽は「尋特召之東邸、給三十口、准大監察、将孥東徙、居丸山邸舎」と書してゐる。東に召すと東に徙るとは分明に二|截《せつ》をなしてゐる。わたくしの読むことが精しくなかつたと謂はなくてはならない。
 由緒書に徴するに、「同年(文政四年辛巳)八月九日江戸引越」と云つてある。

     その百六十二

 北条霞亭は辛巳の歳に東に召された時、初は単身入府し、後更に孥《ど》を将《ひきゐ》て徙《うつ》つた。前の江戸行は四月十三日に命ぜられて、六月の初に江戸に著したらしい。後の江戸行は由緒書に「八月九日江戸引越」と記してある。
 所謂江戸引越は霞亭が江戸に留つてゐて、妻孥を備後より迎へ取つたのでなく、霞亭は自ら往い
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