福山にあつて大目附を勤めてゐたのである。
第七は侯の医官三沢玄間である。書に「学屈原候こといかなるわけに候哉」と云つてある。これはどうしたと云ふのであらうか。水に赴いて死したのであらうか。玄間は俗医にして処世の才|饒《おほ》き人物であつたらしい。初め町医より召し出された時、茶山はこれを蘭軒に報じて、その人に傲《おご》る状を告げた。今其末路を聞くに及んで、「国に居候時も阿堵に不埒多きをのこ、定而其事なるべし」と云つてゐる。しかし茶山が哀矜《あいきよう》の情は、其論賛に仮借の余地あらしむることを得た。「しかし何処へ行ても一あてはあてるをのこ(中略)可惜ことに候。」
第八は亀田鵬斎である。当時既に中風の諸証に悩されてゐた。「ながき事有之まじく候よし気之毒に候。」茶山は鵬斎の焼塩を嗜《たし》むことを知つてゐて、便《たより》を待つて送らうとおもつてゐた。しかし蘭軒の病状を報ずるに及んで躊躇した。「さ候へば却而邪魔ものなるべし。」
想ふに茶山は鵬斎死期の近かるべきを聞いてゐて、妙々奇談中鵬斎を刺《そし》る段を読み、「気之毒」の情は一層の深きを加へたことであらう。譏刺《きし》は立言者《りつげん
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