ども、歓《よろこび》を成すことを得なかつた。それは半月前に姪孫女を失つたからである。わたくしは系図と茶山の書牘とに由つて、此女児の誰なるかを検せようとした。
 わたくしは便宜上先づ茶山の書牘を挙げたい。しかし此書牘は月日《げつじつ》を闕いてゐて、只其内容より推して八月十七日後、少くも十数日を経て書いたものなることが知られるのである。それゆゑわたくしは此に先づ八月十七日前の事を略記して置いて、然る後に茶山の書牘に及ぶことゝする。
 八月十六日は蘭軒が何事をも記してゐない。茶山は二客と倶に酒を飲んだ。宵闇の後、明《あけ》近くなつて月を得た。「向暁門前笑語攅。喧言明月現雲端。」
 十七日は北条霞亭の一週年忌である。江戸では蘭軒が柴山某等と共に墓に詣でた。事はわたくしの将《まさ》に引かむとしてゐる茶山の書牘中にある。神辺では茶山が明月の下に詩を賦して哀《あい》を鳴らした。「十七夜当子譲忌日。去歳今宵正哭君。遠愁空望海東雲。備西城上仍円月。応照江都宿草墳。」
 さて月日不詳の茶山の柬牘は下《しも》の如くである。是も亦饗庭篁村さんの蔵する所に係る。
「御返事。」
「公作《こうのさく》御次韻《ごじゐ
前へ 次へ
全1133ページ中505ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング