つた。「自有私見、而従玄宗注」と云つてゐる。按ずるに蘭軒と※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎とは見る所を同じうしてゐたのであらう。
 菅氏では此年文政六年に、茶山が大目附にせられ、俸禄も亦二十人扶持より三十人扶持に進められた。歳杪《さいせう》の五律は「喜吾垂八十、仍作楽郊民」を以て結んである。梁川星巌夫妻の黄葉夕陽村舎を訪うたのも亦此年である。
 頼氏では此年三子又二郎が生れた。復《ふく》、字《あざな》は士剛《しかう》、号は支峰である。里恵《りゑ》の生んだ所の男子で、始て人と成ることを得たのは此人である。
 其他森枳園が此年蘭軒の門に入つた。年は十七歳である。
 大田南畝は此年四月六日に歿した。茶山が書を蘭軒に与へて、老衰は同病だと云ひ、失礼ながら相憐むと云つてより、未だ幾《いくばく》ならずして歿したのである。茶山は南畝より長ずること僅に一歳で、此年七十六であつた。南畝は七十五歳にして終つた。
 此年蘭軒は四十七歳、妻益四十一歳、子女は榛軒二十、常三郎十九、柏軒十四、長十、順四つであつた。
 文政七年の元日は、棕軒正精が老中の劇職を辞して、前年春杪以来の病が痊《い》えたので、
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