加へて、遼豕《れうし》の誚《そしり》を甘受することとしよう。病源候論は隋の煬帝《やうだい》の大業六年の撰である。作者は或は巣元方《さうげんはう》だとも云ひ、或は呉景だとも云ふ。呉の名は一に景賢に作つてある。四庫全書総目に、此書は官撰であるから、巣も呉も其事に与《あづか》つたのだらうと云つてある。玉海に拠れば、宋の仁宗の天聖五年に此書が※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]印《もいん》頒行せられた。降つて南宋の世となつて、天聖本が重刻《ちようこく》せられた。伊沢の蔵本即酌源堂本は、此南宋版であつて、全部五十巻目録一巻の中、目録、一、二、十四、十五、十六、十七、十八、十九、計九巻が闕けてゐた。然るに別に同板のもの一部があつた。それは懐仙閣本である。此事は経籍訪古志に見えてゐるが、訪古志はわたくしのために馴染が猶浅い故、少しく疑はしい処がある。訪古志に懐仙楼蔵と記する諸本が、皆|曲直瀬《まなせ》の所蔵であることは明である。然るに訪古志補遺には懐仙閣蔵の書が累見してゐる。わたくしは懐仙閣も亦曲直瀬かと推する。しかしその当れりや否やを知らない。さて懐仙閣本の病源候論も亦完璧
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