つてゐる。山陽は「素愛嵐峡山水、就其最清絶処縛屋」と云つてゐる。
 その林崎を去つた時は文化八年二月である。樵歌に「辛未二月予将卜居峨阜、留別社友諸君」の詩がある。霞亭は林崎にあつて恒心社を結んでゐた。社友とは此恒心社の同人を謂ふ。発程の前には暫く宇清蔚《うせいうつ》の家に舎《やど》つてゐたらしい。「予将西発前日石田生過訪予於宇氏寓館」と云ふ語がある。発程の日には凹巷が送つて宮川の下流、大湊の辺まで来た。「卜居択其勝、相送宮水※[#「さんずい+眉」、第3水準1−86−89]、大淀松陰雨、霑衣分手遅」と云つてゐる。
 京に入るとき弟|惟長《ゐちやう》が同行した。そして宇清蔚が来て新居を嵯峨に経営することを助けた。此間|井達夫《せいたつふ》も来て泊つてゐた。惟長の事は、山陽も「挈弟」と云ひ、月江も「携令弟」と云つてゐる。移居当時の事は、樵歌に「予卜居峨阜、宇清蔚偕来助事、適井達夫在都、亦来訪、留宿三日、二月念一日、修営粗了」と云つてある。想ふに早く二月中旬の某日に行李を卸して、二十一日に屋舎を修繕し畢《をは》つたのであらう。
 霞亭の卜する所の宅は、所謂竹里の居で、西に竹林《ちくりん》を控
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