北越の遊が文化四年であつたことは、上《かみ》の文を草し畢《をは》つてから、凹巷の北陸游稿を見てこれを確証することを得た。此書はわたくしの曾て一たび蔵して、後これを失ひ、今又一書估の齎し来るに会つて購《あがな》ひ求めたものである。游稿の序は亀田鵬斎が撰んでゐる。其文にかう云つてある。「友人志州北条子譲。丁卯歳先我游于信越之間。為北游摘稿数十篇。上梓以問世。」此に由つて観れば霞亭の游は啻《たゞ》に筆に上《のぼ》せられたのみならず、又|梓《あづさ》にも上せられてゐるのである。
 記して此に至つて、わたくしは再び霞亭南帰の問題に撞著《たうちやく》する。霞亭は越後より南帰して、伊勢国|度会郡《わたらひごほり》林崎に駐《とゞ》まつた。此間の事を叙するに、山陽の筆は唯空間を記して時間に及ばない。
 凹巷の詩には此事を叙してかう云つてある。「異郷雖可楽。故国有厳慈。学成勝衣錦。菽水想怡々。信中攀桟道。帰思日夜馳。別来已八年。訪我顧茅茨。(中略。)経過従此数。咫尺寓林崎。」わたくしは初め「別来已八年」の句を下の「訪我」に連《つら》ねて読んだ。しかし霞亭と凹巷とが奥州より帰つて品川で袂を分つた文化甲子の後
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