を取つて、姑《しばら》く妄《みだり》に下《しも》の如くに解する。霞亭の学術は前年癸亥に略《ほゞ》成つた。歳晩の舟遊は、その新に卒業して気《き》揚《あが》り興《きよう》豪《がう》なる時に於てせられた。柳橋の船宿で艤《ふなよそほひ》を待つ間に、霞亭は敬軒と松島に遊ぶことを約した。即ち「柳橋訂此期」である。然るにかねて契つた敬軒は官事に覊《き》せられて別を告げ、偶《たま/\》来つた凹巷が郷人に代つて行を同じくした。即ち「松島偶同遊、柳橋訂此期、独奈河良佐、客中臨路岐」である。柳橋の約はその訂せられた日より、その果たされた日に至るまで、多少の遷延を蒙つた。甲子の春が過ぎ、夏秋が過ぎた。霞亭と凹巷とが江戸を離れて下野国《しもつけのくに》に入り、路を転じて東に向つたとき、十月の風が客衣を飜した。「下毛路向東。十月朔風吹。」その東に向つたのは、宇都宮附近よりしたことであらう。
二人は奥州街道を北へ進んで、仙台附近より又東に折れ、多賀城の碑を観た。其日は途中から雨になつた。「帯月発荒駅。衝雨尋古碑。」此より塩釜に遊び、富山《とみやま》に上り、石の巻に出た。「塩浦過群嶼。宛如局上棋。(中略。)富山又石
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