蓮《せうれん》の歿した月である。渉筆に、「遠恥東帰、開業授徒、享和癸亥七月、病麻疹而没、年纔二十五、府下識与不識、莫不悼惜者、親友輯其遺稿若干篇上木、予亦跋其後、小蓮残香集是也」と云つてある。先づ「府下」の字を下《くだ》し、次で「親友」の字を下し、後に「予亦」の字を以て承《う》けてゐる。わたくしをしてその在府者の語たるを想はしむるのである。
 十二月には霞亭が舟を柳橋に倩《やと》うて、墨田川に遊んだ。同遊者には河崎敬軒があつた。又|池隣哉《ちりんさい》と云ふものがあつた。河崎は十二年の後、菅茶山と共に西帰して、驥※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《きばう》日記を著した人である。池は十三年の後、霞亭が廉塾から的屋に帰つた時家にあつて、霞亭と弟惟長とに訪はれた人である。

     その百四十二

 北条霞亭が二十四歳の時、歳晩に舟を墨田川に泛べた記は渉筆に見えてゐる。「予嘗居江戸数年。享和癸亥歳晩。河良佐池隣哉来在府下。一日快雪初霽。予与二子。乗興出遊。遂到柳橋。命舟泛於墨水。両岸人家。白玉合成。銀閣瑤楼出其上。左右映帯。一棹悠々。挙酒賦詩。楽甚。隣哉出所齎香※
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