早く挙げてゐる。唯思軒は山陽の奔《はし》つたのを、江戸を奔つたことゝ解してゐる。しかしこれは尾藤の家を去つたので、江戸を去つたのでは無かつたであらう。
二洲が此《かく》の如き小疵瑕《せうしか》の故を以て山陽を逐つたのでないことは言を須《ま》たない。又|縦《よ》しや二洲の怒が劇《はげし》かつたとしても、其妻|直《なほ》は必ずや姉の愛児のために調停したことを疑はない。しかし山陽は「例の肝へき」を出して自ら奔つたのであらう。
わたくしは此事のあつたのを何時だとも云ふことが出来ない。寛政九年四月より十年四月に至る満一箇年のうち、山陽がおとなしくして尾藤方にゐたのは幾月であつたか知らない。しかし推するに二洲の譴責は「物ごとにうたがひふかき」山陽の感情を害して、山陽は聖堂の尾藤が官舎を走り出て、湯島の通を北へ、本郷の伊沢へ駆け込んだのであらう。山陽が伊沢の門《かど》で脱いだのが、草鞋《わらぢ》でなくて草履であつたとしても、固より事に妨は無い。
世の伝ふる所の寛政十年三月廿一日に山陽が江戸で書いて、広島の父春水に寄せた手紙がある。わたくしは此手紙が、或は山陽の江戸に於ける後半期の居所を以て、尾
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