、第3水準1−85−76]斎は文政四年四月十四日に、其子懐之と共に京都にあつて此書を裁し、其後どうしたか。
十五日には、書牘に拠るに、坂本の山王祭を観た筈である。
十七日には奈良へ立つた筈である。
此より後五月十八日に至る三十日間の行住の迹は、さしあたり尋ぬることを得ない。五月十九日には※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎父子が福山に宿した。
二十日の朝父子は菅茶山を神辺《かんなべ》に訪ひ、其家に宿した。
二十一日には父子が猶黄葉夕陽村舎に留まつてゐた。
二十二日に二人は神辺を発し、三原に向つた。
此五月十九日より二十二日に至る四日間の旅程は、茶山が江戸にある北条霞亭に与へた書に由つて証することが出来る。
茶山の霞亭に与へた書は断片である。霞亭はこれを剪《き》り取つて蘭軒に示した。この剪刀《はさみ》の痕を存した断片は饗庭篁村さんの蔵儲中にある。「扨津軽屋三右衛門父子今月廿日朝来り候。ふくやまに一泊いたされ候よし也。其夜と其翌夜滞留、廿二日三原をさして発程也。今すこし留めたく候へども、宮島迄も参、京祇園会に必かへると申こと、日数なく候故、乍残念かへし候。八幡にて古
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