如く、当時蘭軒一派の学者が此書を尊重してゐて、現に※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎自家も玄応音義の和刻本に、校讐を加へて蔵してゐたからである。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の識語のある此本は後枳園の子|約之《やくし》の手に帰し、今は浜野知三郎さんの庫中にある。
文献史上に於ける音義諸書の顕晦存亡は、其迹小説よりも奇である。今は定てこれに関する新研究もあらうが、わたくしの此に言ふ所は単に流布本の序跋等に見えてゐる限を反復するに過ぎない。それのみでも既に人をして其奇に驚かしむるに足るであらう。
玄応が音義を著したのは唐の初である。「貞観末暦」と云つてあるから、猶太宗の世であつた。即ち七世紀の書である。初二十五巻であつたのが、二十六巻となり、清の乾隆に至つて旧に復せられた。これがわたくしの蘭軒の捜してゐた本だらうと推する書である。五号活字の弘教《くげう》書院蔵にも、四号の蔵経書院蔵にも載せてある。しかし善本を求めたら、今も獲難からう。
顕晦の尤奇なのは、此書では無い。慧琳の音義である。裴氏《はいし》慧琳が音義一百巻を著したのは、「以建中末年剏製」とも云つてあり
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